論座2008.8 大国中国を理解する視座
大国中国を理解する視座
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授 天児慧
はじめに
台頭する中国をどのように受け止めるか、という問いは今日の国際政治、わが国にとって極めて重要な課題である。これを言い換えるなら「台頭する中国は脅威か」という問いにもなる。私はかつて編集した同名の拙著の中で脅威を測る基準として、その国が持つ能力と意図に加えてイメージの3要素から見ていくべきだと指摘した(『中国は脅威か』勁草書房、1997年)。能力は経済力・軍事力・資源などから、意図は目標や戦略から図ることができ、イメージは受け手の認識であるが、直接それに影響を与えるのはいわゆるソフトパワーである。さて、東アジア統合を積極的に推奨してきた渡辺利夫氏が、その先に展望される「東アジア共同体」構想に対し、近年一転して「錯誤であり」「実現不可能であり、かつ実現すべきものとも考えない」と断じている。根拠を突き詰めてみれば、その隠然たる主役が中国であり、「東アジア共同体を動かす最大の背景要因が中国の地域覇権主義である」という点に帰着する(『新脱亜論』文春新書、2008年)。親交の厚い氏のこうした断定に私はいささか驚きの念を禁じえない。「中国の地域覇権主義」という「脅威論」は中国自体の経済・社会・政治構造、アクターなどが多様化、複雑化しつつダイナミックに変動している現実をあまりにも静態的にとらえ、能力と意図とイメージをあまりにも単純化し、一面的にとらえ過ぎていると言わざるを得ない。しかしこのような意見が対中国認識で一定の支持を得ていることもまた日本の現実であろう。
確かに「中国の台頭」は目覚ましく、「脅威」にさえ映る。2000年以来の経済成長はGDP年平均10・6%で、2007年は一挙に3兆ドル(約3兆4000億ドル)を突破し、00年では日本の4分の1に満たなかった経済規模が今や4分の3に達してしまった。07年の貿易総額は2兆1770億ドル、外貨準備高も1兆5000億ドルを超え、わずかな期間で日本を突破してしまった。06年に公表数値で日本を超えた軍事費も07年はさらに約562億ドル(日本は428億ドル)と大幅増となった。まさに「飛ぶ鳥を落とす」がごとく「能力の増大」である。それに合わせて中国の「大国意識」も高まっており、政治家やブレーンたちから「責任ある大国」「風格を持った大国」といった言葉がやたらと使われ、「意図の増大」も見られるようになった。
しかしここ数年来、私は今日の中国をどう考えるかという問いに対して、マラソン選手に例え「猛烈な勢いで走り次々と前の走者を追い越していくが、今では無理がたたり足や腰など各部で痛みや出血が始まり、それが次第にひどくなっている。外面上勢いは衰えないがもはや手当てが必要になってきたマラソンランナーのようだ」と説明している。法やルールがしっかりと機能せず、不当に富を増やす改革開放の受益者層と取り残された膨大な貧者との格差、成長優先のツケとして広がる大気・水などの甚だしい環境汚染、拝金主義が蔓延するおびただしい腐敗、脆弱な社会資本などはすでに広く知られているところであった。
それらはまさに改革開放の「ひずみ」であるが、もはや「ひずみ」では済まされない、国際問題となりつつある。黄砂・酸性雨に象徴される環境の越境性の問題、昨年来の大量の農薬混入の食料品衛生問題、聖火リレーの最中に勃発した「チベット騒乱事件」などは「台頭中国」のイメージを損ねている。深く霞み汚れた大気に覆われる北京の空であるからこそ、世界記録保持者のマラソンランナーの北京オリンピック出場辞退といった問題も発生した。こうした中で5月初旬、あの衝撃的で悲惨な四川大地震が発生した(後述)。スーザン・シャークの近著『危うい超大国 中国』は、中国の「脆さ(Fragile)」を実に詳細なデータを用いて分析しているが、大地震はまさにその「脆さ」を実証した。
「中華民族の偉大な復興」を世界に向けて華々しくアピールするはずだった北京オリンピックを前に、腰痛や出血に苦しむ「中国ランナー」は北京というゴールを前に一度立ち止まるか、スピードを落として本当に手当てをせねばならなくなった。参道から飛び出し治療に手を貸す国内の人々、海外から来た人々の支援にこの「中国ランナー」は何を思うのであろうか。もしも「威風堂々と中華民族の偉大さを誇示するオリンピック」から、「庶民も参加し国際社会も協力し傷ついた中国を励まし助け、全民族の支援と世界の友情が結実したオリンピック」というイメージへ転換することができたなら、「大国中国」を見る視座も大きく変わるかもしれない。そうした思いも抱きながら、国際社会の中で中国をどうとらえるかというテーマに踏み込んでいこう。
国際秩序におけるパワー・トランジッション
かつて自らを「貧しい発展途上国」と規定していた中国は、2000年前後より「世界に影響を与える責任ある大国」と主張しはじめた。2003年11月、胡錦濤の外交ブレーンでもある鄭必堅(現日中21世紀委員会中国側座長、前中央党校常務副校長)は博鰲(ボアオ)アジア・フォーラムで初めて中国「和平崛起(平和台頭)論」提唱した。それは中国台頭というパワー・トランジッションを平和的に進めていくことを中国自身が世界に向けて発したとも言えよう。2004年10月、日中関係の専門家である馮昭奎は、「当地域のいかなる大国も中小国に恐怖心を抱かせないようにする一方、いかなる大国も中小国を自国の勢力範囲とみなすべきではない。……“言行を一致”させ、域内の他の国々や世界に対し『平和的発展』『平和的台頭』は普遍だとの国家的意思、決意を堅持していることを表明すべきである」と改めて中国台頭における周辺諸国の抱く脅威感の払しょくに懸命になった(「東亜共同体」『旬刊中国内外動向』895号)。
中国は大国化戦略の重要な戦略空間として「東アジア」を重視するようになった。「与隣為善、以隣為伴」(隣りと仲良くし、隣りをパートナーとする)という表現はそうした方針を示している。その後も例えば、前日本大使の王毅は「周辺は我が国が主権・権益を守り、国際的役割を発揮するもっとも重要な拠り所である」との認識を示し(『求是』2003.4期)、あるいは門洪華(中央党校副教授)は「周辺国家との協力・協調関係を強めることは、中国の地政学的戦略の最重要目標である。中国は周辺経済協力の主導的位置を確立すべきであり、経済協力によって“東アジア一体化”を推進する」と指摘している(『世界経済与政治』2004年6期)。
これらの主張はまさに台頭する中国が、周辺諸国・地域との関係を強化し、取り込みながら国際社会における中国の影響力を如何に拡大するかに強い関心を持つようになったことを示している。しかし、それは単なる影響力の拡大にとどまらず、新たな国際秩序の形成に向けた中国自身のグランド・ストラティジーに結びつくものであった。最大の長期戦略は、静かに警戒感を抱かせず、しかし徐々に米国による突出した「一極指導型の国際秩序」を転換していくことである。2002年来強調している「公平、平等、民主的な国際社会の形成」、2006年秋に胡錦濤主席が国連総会で演説した「和諧(調和のある)世界の実現」などは、その裏に米国中心型秩序への静かな異議申し立てがあると読み取ることができる。そして新たな国際秩序構想の中心的な柱に、東アジアにおける新地域秩序構想が展開されたのである。
例えば、外交部シンクタンクの国際問題研究所・阮宗澤副所長は「中国の東アジア経済協力における位置は突出し、東アジアに提供する市場の規模は日本を超えた。……中国と周辺国家はまさに1つのともに発展し、ともに反映する運命共同体を形成しつつある」と指摘している(『瞭望新聞週刊』2003年12月15日)。また、張蘊嶺社会科学院アジア太平洋研究所所長は、「東アジアの地域協力にはアメリカが要らないというのであって、アメリカの存在が重要ではないという認識に立っているわけではありません。……例えばEUにはもちろんアメリカは入っていないわけですよね。しかし米・欧の関係というのは北大西洋条約機構の関係によってアメリカがその中に加わっているという状況があるわけです。アメリカと東アジアの関係の理想はアメリカとヨーロッパのような関係であると思います。ただそれにはまず東アジアの協力という体制をきちっとつくらなければいけないと思います」と、明確にアメリカを排除した東アジア地域協力体を構想していた(『論座』2003年2月号)。そうした国際秩序をやや単純に図式化するなら、<米軸の北米+EU+EAC> の3地域圏中心型国際秩序の創造と言うことができよう。
しかし、「大国化」「台頭」を意識した中国のこのような秩序構想は、主観的には極めて慎重な運びであったが、アジア各国及び米国などの警戒感を高めた。例えば上述した鄭必堅の「和平崛起」論も、結局は平和的にせよ「台頭」であり国際秩序の変化を積極的に進める意思表示をしたものと受け止められ、「現状の世界秩序への挑戦者、破壊者」といった反発と警戒心が起こった。これに敏感に反応した中国当局は、直ちに公式的には「和平崛起」という言葉の使用を放棄し、中国の目指すものは「平和と発展」であると以前鄧小平時代に使われていた表現を再び前面に出すようになった。
2005年12月には、歴史上初めてアジアのトップリーダーが集まった東アジアサミット(EAS)がクアラルンプールで開かれた。ここでの重要議題は将来形成すべき東アジア共同体(EAC)をめぐる問題であったが、その冒頭から、参加国の範囲をめぐって中国と日本が対立してしまった。中国はASEAN10+日中韓3でEACを構成すべきと提案し、これに対して日本は10+3にさらにインド、豪州、ニュージーランドの3国を加えるべきと主張した。この論争は結局、ASEAN拡大首脳会議(10+3)とEAS(10+6)が日時をずらして同じ時期・場所で並行して開かれることで定例化するようになった。しかし、これを機に中国の東アジア共同体建設の動きは大きくトーンダウンしたように見える。事実その積極的な推進者のひとりであった張蘊嶺は、2007年秋早大での国際シンポジウムで「中国の国境は東アジアだけではない、中央アジアも南アジアもある。東アジア協力だけが我々の目指すものではなく、我々は大きなグランドデザインの中で様々な協力・発展戦略を指向している」と発言していた。
「大国中国」の主張から「協調・調和を目指す中国」の戦略的意図
近年、胡錦濤、温家宝ら中国の指導者たちは、前述したように「和諧社会」の実現に全力を挙げようと強調している。今年3月改選された全国人民代表大会閉幕式直後、2期目のスタートを切ったばかりの温家宝総理は苦渋に満ちた記者会見を行った。例えば「自分の頭から離れない4つの課題のうち、第1は持続的な経済成長を図りつつ、インフレを抑えること。最大の困難は物価の速すぎる上昇とインフレ圧力だ」と物価対策に苦心していることを率直に認めた。都市部の失業率は4・5%以内に、消費者物価上昇率を4・8%以内に抑えると表明したものの、実際の庶民の実感ははるかに厳しく、インフレ不満は強まっている。北京市内の中小企業で働く女性は「スーパーの豚肉価格は昨年の2倍。食品は買わないわけにはいかず、低所得層の生活は本当に苦しい」との悲鳴をあげているが、それは決して大げさではない。さらに深刻な問題として大気・水質・土壌汚染問題、水・エネルギー不足問題の悪化である。温家宝「政府報告」でも過去5年で「資源と環境の代償はあまりにも大きかった」と深刻化する高成長の副作用を指摘している。各地におけるさまざまな被害が顕在化し、上海やアモイといった最先進都市では住民が、生活環境を破壊しかねない政府主導のプロジェクト阻止に向け、抗議デモなど直接行動に訴えるまでになっている。
しかし成長の速度を停止することはできない。一定の成長を維持しながら、いかにして深刻化する諸問題、環境悪化に歯止めをかけるか、もはやスローガン的に叫ぶだけではだめで、早急に対策を取らなければ社会不安が噴出しかねない状態になってきた。事実、中華全国総工会は3月14日、雇用や賃金などの待遇改善を求める労働争議が、1995年以来毎年20%あまりの勢いで増加し2007年に40万6000件起きたと発表した。それ故にこれらを解消する社会資本の充実面でも外国からの積極的な協力・支援が不可欠になっている。
特に日本に対して節約循環型社会への転換、食品管理の強化、環境汚染の改善、法の整備と実効化などの面で協力を期待するところは大きい。冷凍餃子毒物混入事件やチベット事件など「逆風」の中で、胡錦濤主席が敢えて初の日本公式訪問を決断したことは、何としても日本からの強力な支援を期待したからであろう。しかも5月7日の早大大隈講堂で行われた胡錦濤講演は、まさに中国が直面する困難な課題を率直に吐露し、中国は国際社会との協力、協調的歩みを求めていること、特に戦後様々な困難を克服してきた日本の経験を学び、協力を求めることを力説していた。
胡訪日の直後、さらに8月のオリンピックを間近に控えた5月12日、「四川大地震」が発生した。もちろん地震それ自体がマグニチュード7.9という最大規模のものであり、相当の被害はまぬかれなかった。しかしメディアで報じられる膨大な被害の実態は、家屋・学校施設・道路・橋・堤防などで地震予防対策が何もなされていない極めて脆弱な社会インフラの実態を浮き彫りにした。危機管理対策も劣悪である。テントや毛布、食糧、医療なども後手に回り、国際支援チームとの連携も多くのロスを引き起こしていた。そして何よりも広範な内陸農村の貧しい生活実態がテレビ画面を通して生々しく浮かびだされていた。北京オリンピックが「威風堂々とした大国中国」をアピールする最大のイベントであるはずだったのに対して、四川大地震はまさに、被災者支援や余震被害への対応不足をも含め、社会基盤の極めて弱い「脆弱国家・中国」をさらけ出してしまった。
私は32年前の1976年7月、初めて訪れた中国・瀋陽で、当時80万人を抱える石炭工業都市唐山を襲った直下型大地震を経験した。しかし地震直後から情報は完全に封印され、中国にいても何もわからない。毎朝ホテルで見ていた人民日報も届かなくなった。もちろん震源地、唐山の被害状況など全くわからない。わずかにその被災規模がただならぬものであるのを感じたのは、数日後上海へ移動するために瀋陽空港に行った時であった。飛行場にはおびただしい数の医療隊の長蛇の列があった。そして上海で、初めて通訳の人から唐山大地震の話を聞いた。鄧小平時代になって明らかにされた唐山地震の死者数は24万人、多数の身体障害者、被災した家屋・交通網・工場などの規模を含めるとまさに「唐山の壊滅」は大げさではなかった。しかも膨大な被害・悲劇を国民に強いながらも海外からの支援は受けず、情報を封印することで国家の体裁を維持したのが当時の中国であった。
唐山地震の当時と比較してみると、今回は中国自身のメディアだけでなく世界のメディアも現場に入り逐一詳細な情報を発信し続けている。高い機密性を保持していた原子力施設の情報も一部明らかにされている。中国が、政策決定や軍事問題などで依然かなりの不透明性があるものの、唐山地震当時や今まさに最大規模のサイクロン災害に悩むミャンマーに比べるなら、はるかに情報が行きわたり開かれた社会になっている。しかも一時は日本の自衛隊の復旧支援さえも前向きに検討するなど、世界各国、国際機関・団体からの大規模な国際協力・支援を積極的に受け入れている。言い換えるなら中国が改革開放路線を推進して以来、大規模な外資導入、貿易急増など経済面での国際相互依存が急速に深まったことは言うまでもないが、ここにきてボランティアな国際貢献活動の受け入れや国際機関などとの協力が進み、国際社会面での連携・相互依存の深まりを見ることができるのである。さらに国内の市民も被災者支援、復旧活動を通して活発に発言し、国家の活動にボランティアに参加するようになってきた。
このような状況下におかれてしまった国家は、今後社会復興、福祉・医療充実などの面で国内外のそうした諸活動を受け入れざるを得ず、それは否応なく政府の意思決定に反映するようになっていく。「偉大さ」「大国の威風」をアピールしようとした北京オリンピックも、おそらく四川大地震に触れざるを得ず国際社会との連携をアピールせざるを得ないだろう。さらに国際メディアは長期間北京に滞在し、スポーツ以外の中国国内のトピックを積極的に海外に発信するだろう。中国が各分野にわたってますます開かれ、国際社会との相互依存を一段と強めていくことは不可避である。国家のビヘイビアとしては、より国際協調的になり現存の国際秩序への挑戦者的態度を薄めていくことが予想される。
もちろん市民・青年の民族主義的排外的な過激な行動・発言も決して減少しているわけではなく、党内保守派勢力も一定の勢力を保っている。時として政府がそれらに影響され非国際協調的になることも他方で予想される。2005年春の大規模な反日行動、今春の世界各地で留学生らによる聖火リレー擁護行動なども一例であろう。スーザン・シャークはフランスでの聖火リレー妨害後の若者行動に対して、「ここまでナショナリズム感情が総動員されると、何かにつけその標的が中国に批判的な米欧に向かうのではと懸念している。世論に縛られると、中国の指導者は責任ある大国としての国際協調行動がとれなくなる」と語っている(産経新聞,2008.4.25)。しかし国内のアクター自体が多様化し共産党はもはや一元的な独裁を強いることが不可能になってきていることは確かであろう。
ソフトパワーを重視する新たな大国化戦略
ナショナリズムの高揚=対外強硬路線=リアリズム外交=ハードパワー重視という図式が描けるのに対して、近年注目されるようになってきたソフトパワーは国際主義の高揚=対外協調路線=リベラリズム外交といった図式で説明されがちである。中国外交は確かに1990年代末までは、「夷を以て夷を制す」「遠交近攻」「敵の敵は友」といった比較的単純なリアルポリティックスに基づくのが特徴であった。しかし21世紀に入り中国外交もこうした単純な発想では済まされなくなってきた。
2007年11月の第17回党大会における胡錦濤「政治報告」では「平和発展」「和諧世界」路線が再確認されたが、多くの人々は「平和発展」「和諧世界」戦略と中国による「ソフトパワー」の行使には直接的な関係があるのかどうか、それらは「ソフトパワー」の強化による中国の長期的な外交戦略に沿ったものかどうかが議論されるようになった。 2007年12月28日、新華社評論は「ソフトパワーとは、総合的な国力と国際競争力の重要部分であり、中国は、激しい国際競争を勝ち抜くために、経済の実力や科学技術力、国防力といったハードパワーを強化するとともに、文化とか価値観といったソフトパワーを高めなければならない。……今後、われわれは、社会主義の核心となる価値を体系化して、中華民族の結束力を強め、文化事業や文化産業の発展を進めるとともに、中国文化の実力と国際競争力を高めていかなければならない」と強調した。
国際協調をより重視するリベラル派国際政治学者もまれではなくなってきた。その代表格・王逸舟は、最近のペーパーの中で「グローバル化時代は必然的に“多軌道外交(多トラック外交)”の構造を形成する」と指摘し、従来の伝統的な政府外交(トラック1)や政府に近い組織やブレーンの活動(トラック2)以外に外交に影響を与える活動、アクターについて以下の7つを上げている。貿易・商業交渉方式、私的な参加による平和創造の活動、研究交流・人材育成・学習、社会運動、非暴力平和宗教活動、平和創造基金、メディア活動である。そして、「これらの複合的に組み合わされた外交こそ外交の効果を強める有効な手段であり、国際関係の新動向である」と指摘している(王逸舟「改革开放以来中国外交的十个特色」2008年1月)。
外交としてのソフトパワーを重視したジョセフ・ナイは、それを「強制や報酬ではなく、魅力によって自らの望む結果を得る能力」と定義し、さらにその条件として「第1に文化で、他国がその国の文化に魅力を感じること、第2に政治的価値観で、国内と国外でその価値観に恥じない行動をとっていること、第3に外交政策で、正当で敬意を払われるべきものと見なされていること」だと指摘している(『ソフトパワー』邦訳、2004年)。王逸舟が指摘したトラック3以下はまさにソフトパワーである。そして中国自身がこうした面での活動を重視し始めたことは注目せねばならない。王逸舟は、別のところでも「法制建設、生態系保護、市場経済整備状況、市民の政治参加および多国間外交の方式の掌握といった“ソフトパワー”面の不足を意識しなければならない」と力説している(天児・青山共訳『中国外交の新思考』東京大学出版会、2007年)。
例えば近年、中国は発展途上国への脱貧困・経済支援、PKO支援などに力を入れてきている。3月31日、ビエンチャンで黒田東彦アジア開発銀行総裁と会談した温家宝総理は、「アジア開発銀行は長年、当地域および大メコン川サブリージョン(GMS)の貧困扶助と発展に重要な貢献を果たしてきた。……人間本位の発展、互恵・ウィンウィンの発展、持続可能な発展の実現は、GMS各国の共通の願いだ」と指摘し、中国は同銀行との協力を拡充し、域内経済の持続的で安定した成長を促していく考えを表明した(『人民日報』2008年4月1日)。
21世紀に入って世界各地で積極的に推進している「孔子学院」の設立は、中国の本格的なソフトパワーによる典型的な文化戦略であった。2007年12月11日、北京で開催された 第2回孔子学院大会で担当国務委員・陳至立は、「中国政府は関係の国や地域とともに、孔子学院を適切に運営し、相互の友情と理解を深める橋を架けていきたい」と述べ、「現在、世界の64の国と地域が210校の孔子学院を設立している。この他、61カ国の200余りの機関がすでに開設の申請をしている。孔子学院を中国語教育を推し広める基地にするとともに、ビジネス、文化、観光、漢方薬などの講座も開設して受講生たちの関心を高める必要がある」と力説した(CRI online)。今後、さらに経済支援、歴史・文化・中国語普及事業、平和構築協力など様々な方面での中国のソフトパワー戦略が本格化していくことは必然であろう。
しかし、だからと言って中国がハードパワーによる外交戦略の展開を軽視し始めていると考えるなら、それは誤解であろう。とくに、国家主権にかかわってくる問題に対しては依然として強硬な態度を崩していない。チベット問題はその典型例である。五輪を控えたチベット・ウイグルなど少数民族への対応は、四川大地震とともに当面の最大の課題であり、中国当局の頭を痛める問題となっている。しかし分離・独立の動きに対して、中国当局はハードパワーを背後にして断固とした態度で臨むことは明白である。主権・面子に関しては、ハードパワーをちらつかせ一歩も譲歩しない姿勢を示しながら、問題解決に関しては対話を積極的に進めるというのが中国当局の外交姿勢であると見てよい。ダライラマ・グループとの対話・交渉を始めたのもそうしたアプローチの表れである。
この点で今後特に注目されるのが台湾問題である。5月21日に正式に台湾総統に就任した馬英九は就任演説で「1つの中国」を前提として、「三通(通航・通信・通郵の直接交流)」政策、中台共同市場の実現などを提案し、「平和と繁栄の歴史の新しいページを共に開こう」と中国に呼びかけた。これに対して中国当局もかなり前向きな反応を示した。近い将来中台トップ会談実現の可能性も高まってきた。もっとも馬英九は、総統選挙の早い段階から両岸関係問題について「統一せず、独立せず、戦争せず」の3不政策を表明し、また台湾の新世代の中で定着してきた台湾アイデンティティ、すなわち「新台湾人」意識に大きく依拠しており、スムースな中台統合が進むとは思われない。ハードパワーとソフトパワーの微妙で効果的な活用が問われ、胡錦濤政権の安定にも影響を与えそうである。
国際秩序論をめぐる根本的問題
しかし、台頭する中国がハードにせよソフトにせよ自らの影響力の拡大を目指す限り、その先にある「国際秩序」とは何か改めて問われてくる。この点で近年盛んに議論されるのがいわゆる伝統的な中華秩序論である。ウエストファリア体制とも言われる今日の国民国家体系による秩序論との関係をどのようにみるべきか。中華秩序論を私なりに整理するなら、2つの特徴の組み合わせから説明できる。第1は構造としての円錐型、同心円型に広がる権威主義的階層型秩序である。その権威の階層性を創り出すものは「文化」(儒教思想)の体得の度合いである。もっとも体得した人物こそ天子(皇帝)であり、次いで中央の官僚群、地方の官僚群、官僚予備軍(読書人、地方名士など)、一般漢人庶民(ここまでが「華」)、そしてその下位周辺に中華文化を享受しない野蛮な人々(東夷、南蛮、西戎、北狄でいわゆる「夷」)が存在するといった文化階層構造、すなわち華夷秩序である。ここでのポイントは西欧的な国境概念がなく、天子の統治は末広がり的に無限に広がっていく天下としてとらえられる。第2の特徴は、秩序形成における非法制性と主体の重層性である。秩序形成に関する儒教の有名な言い回しとして「修身・斉家・治国・平天下」がある。そこには各人・家・国(地方)・世界とアクターを重層的にとらえ、法や制度の体系ではなく修養、教化による秩序形成がポイントになっている。そして天子の理想的な統治は、武力によって統治する覇道と対照的に、文化による教化、徳・仁による統治であり、それを王道政治と呼ぶ。
こうした中華秩序論は確かに西欧的秩序論と異なっており、一考に値する内容も含まれている。しかし最大の問題は、価値の基準を儒教的価値観においていること、しかもそれを基準に上下関係を重んじる権威主義的思考を強く残していることである。もちろん「華」を固定的にとらえるべきではなく、元朝、清朝のように蒙古族、満州族が権力を掌握し「華」になったケースもある。浜下武志はこうした歴史を踏まえながら中華秩序のダイナミズムを「華夷変態論」と表現した。明治維新以降近代国民国家の形成を目指してばく進した日本が、やがて1920年代頃より大アジア主義を唱え東亜共同体構想を目指すようになる。それは浜下流に言えば日本を盟主とし、日本人を優秀な文化を有する為政者(=華)と位置づけ、「一視同仁」という儒教的秩序観に基づいて東アジアを統治しようとしたものでいわば日本型「中華秩序論」への回帰であった。もちろん、現在進行形のアジアにおいて地域システムを指向するならば、金熙徳日本研究所副所長が指摘しているように、「東アジアで進展している地域協力ひいては地域共同体は、19世紀以前の中国を中心とした“華夷秩序”への回帰でもなければ、20世紀前半における日本の目指した“大東亜共栄圏”でもないはずである」(西口清勝編『東アジア共同体の構築』ミネルヴァ書房、2006)。
しかし問題は中国人自身が無意識にとる指向性である。先に紹介した日本研究者・馮昭奎は誠実で研究者としても質の高い人である。1990年代半ば、中国の軍事力増強が目立ち、核実験を強行し「中国脅威論」が議論された日中シンポジウムの席で、「海外の人々が中国脅威論を警戒する必要はない。我々の目指す道は王道であって覇道ではないからだ」と発言した。私はそれに対して、「王道」という考え自体が自分を他者よりも上位に置く発想を前提としており問題である」と強く反論した。あるいは天安門事件以降登場したクリントン第1期政権は人権外交と最恵国待遇(MFN)問題をリンクさせて、米中貿易の進展の条件として中国国内の人権改善を要求していた。1993~4年に中国側は米国経済界に猛烈にアクションをかけ、中国の貿易市場、生産市場の魅力、ビジネスチャンスをアピールし経済界を取り込んだ。米経済界は政界に圧力をかけ、クリントンは94年についに人権と経済(MFN)のリンクを放棄すると発表した。ある中国人はこれを評して「夷を以て夷を制する」外交が功を奏したとコメントした。前の夷は米経済界であり、後の夷は米政界である。
問題は無意識に「夷」と表現する身に沁みついた「華夷思想」である。かつて中国の日本大使館に雇われ「外交官」として滞在していた筆者が各地を視察し地方指導者のインタビューを求めた時、「あなたの身分ではこのランクの指導者には普通は会えない」という指摘を受けたことがある。上下のランク付けによる権威的ヒエラルキーの思考は今もなお十分に生きている。こうした発想が国際社会に広がった時、「強い中国」が周辺を見下し威圧するという権威的関係が生まれる懸念はある。この点では冒頭でふれた渡辺利夫氏の懸念は理解できる。しかし、そうした中国が文中でも触れたようにダイナミックな変貌を遂げていること、「脆さ」を拡大させ主体が多様化していることもまた事実なのである。
では台頭する中国が周辺諸国に、さらには国際社会に受け入れられる好ましい条件とは何か。第1に、前述した深刻な諸矛盾・問題は構造的なものであり、国際社会との協調・相互依存的な関係から対処するしか解決の道はなく、解決に向かえば向かうほどさらに相互依存的、非ゼロサム的にならざるを得ないことを中国自身、そして外部世界の人々も十分に認識することである。
第2に、中国自身が自らを相対化する思考を身につけ、かつ「大国化」はグローバル化の世界では「国際協調」と背中合わせの関係であることを十分に理解することである。言い換えるならこれからの時代は大国化しても、それが「総合的なスーパー・パワー」になることは困難で、ある分野で突出しても他の分野では別のアクターが突出するといった「大国のハイブリッド化」が進むというのが私の見通しである。その点を認識しておれば、大国間の相互協力、共振(シナジー)効果が可能となる。
第3に、「中国脅威論」の解消のカギは、当局にとって都合の悪い問題・事件・矛盾が露呈した時にそれを「隠ぺい」するのではなく「開示」し、強権的にではなく時間をかけてでも関係者が納得できる解決を模索する姿勢を示し続けることである。チベット問題、台湾問題、食品衛生問題などすべてそうである。中国当局自身がよく用いる「その言を聞き、その行動を見る」である。いくら「民を以て本と為す」など言葉として「美辞麗句」を並びたてても、実際行動が伴わなければだれも信用しない。
そして第4に、ダイナミックな人の流動、人的接触、情報の共有などをベースにした信頼を醸成し、広い意味での価値観、アイデンティティ――そこには政治の実質的な民主化も含まれる――を共有できるような中国自身と他国との相互の努力が求められるようになる。1990年代末に中国の知識人の間で「アジア共通の家」を創造しようという声が聞かれた。それが従来の<上・下関係>を強く意識した「華夷思想」的アイデンティティの浸透であるならばやがて強力な反発、抵抗を受けることになるだろう。<アジア共通の家>は人間個人や民族の尊厳をベースにしたアジアにおける新しいアイデンティティの創造を意味する。そして時代の大きな流れを深層の動きも含めて見渡す時、極めて困難な忍耐を要する作業であることは疑いないが、私はそれでも、この点では楽観論者である。


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